まろやか人生

うさぎと筋トレとお菓子大好きウーマン

少しずつ

昨日は泣き疲れて寝ました笑

意外と大丈夫かな〜と思っていたけど、全然そんなことなかった🫠

当たり前だよね。

 

これからもふとした時に昨日みたいなことが何度もあるんだろうけど、少しずつ悲しみを癒していこう…

 

そんな中、コメントやスターを付けられなかった問題が解決して、そこは上機嫌です笑

iPhoneのアップデートの際に、トラッキングなんちゃらが自動でオフにされていたのが原因でした。

はてなのヘルプを見ても全く助けにならなかったけど、Googleで調べたらわりとすぐに同じトラブルを経験した方が対処法を載せてくれていました✨

 

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まろは変わらず元気です♡

 

寂しい

父が火葬された日から泣いてなかったのに、突然また寂しさが襲ってきて、涙が止まらなくなりました。

親の方が先に逝くのは当たり前、そう思っていても、早すぎることが悔しくてつらい。

LINEを開くとまだ父とのトーク画面が残っているし、先日の父の誕生日にはiPhoneから

 

【[父に発信]誕生日が連絡先で検出されました】

と通知がきて胸がぎゅっとなりました。

 

初七日で実家に行った時、父のお骨のそばに寄り添って、窓からの景色を見ていたら、一緒に並んで窓の外を覗き込んで他愛のない話をしていた事を思い出して…

 

実家から帰る時も、普段なら『またくるねー!』と寝室にいる父に声をかけて

『あいよー!またね』という父の声を聞いてから玄関に向かっていたなと。

寂しい。本当に本当に寂しい。

戻ってくればいいのに。戻ってくればいいのに。

69歳だよ、あと10年くらいこっちにいたって良かったじゃん。

見送った

父を見送り、あっという間に初七日が終わりました。

話が出来たのは亡くなる1週間ほど前で、その後は徐々に話せなくなり、手を握ってもほとんど反応がなくなり

最後の夜、私たちが仮眠をとるため一時帰宅してすぐに、心拍数が落ちてきていると病院から連絡があり

病院に引き返しましたが、到着した頃にはすでに心臓が止まってしまっていました。

 

寂しい。親族の死は3度目だけど、当たり前だけど親の死は桁違いにつらいし寂しい。

血の繋がりはなくても13年私の父でいてくれた、思い出が多すぎる。

葬儀の日はたくさん泣いたけど、それ以降は寂しさを痛感するのがつらくて、あまり深く考えないように脳がふんわり別の事で気を逸らしてきます。

いなくなった事をしっかり認識してしまうとどうしようもなく寂しいので。

悲しいというより、とにかく寂しい。

 

もっと元気なうちにいっぱい会っておけばよかった。

ありがとうも言っておけばよかった。

入院中も話せるうちにいっぱい会いに行けばよかった。

祖母が亡くなった時もそう思って、父の時は色々と行動したつもりだったけど、いざいなくなってしまうと全然足りなかった気がします。

 

でも多分、どれだけたくさん行動しても後悔って必ずするんだろうなぁ…それだけ父を大切に思っていた、思わせてくれるだけ大切にしてもらったという事なんだ…って。

 

今できるのは父に感謝して、母を大切にして生きていくことだけ。

あとは自分の体を大切にする。

 

数年毎に生き方を考え直してきたけど、今回もまた…この先どうするか、このままでいいのかと色々と考えるようになりました。

 

まずは、父を見送ったよ…という報告だけしに来ました。

 

この前もコメントしに行ったけど、やっぱり何故か反映されなくて…ちょっと心が折れそう…笑

どうしたらみんなのブログにコメントできるようになるの…

2年も経った

父の調子は相変わらずというか、誤嚥性肺炎が完治しないので絶食状態で胸の辺りに管を入れて、そこから栄養を流している状態です。

ほぼ毎週会いに行っているけど、笑顔でピースしたり、よく話す日もあれば

空腹感やそりの合わない看護師にストレスが溜まって、ブチギレている日もあり。

 

先週は私と母にもかなりイライラした様子で『ちがう!』とか『ここから出せ!』と言っていたけど、これは私が介護の仕事をしていた時からそういう状態の人に慣れていたことと、母も倒れる前の父のわがままに慣れていたので

全然気にせずただただ、ストレス溜めてる父が可哀想だなと思い、慰めたり愚痴を聞いていた。

私はというと、仕事のしんどさで少しずつ消耗しています。何がどうしんどいのかは書いてるだけで悲しくなってくるので割愛しますが、しんどい。

 

私来月で32歳になるんです。

29歳の3月頃まで、『30歳になったら死のう』と何年も思っていたのに

なんだかよくわからないままあっという間に30歳を迎えてしまって

死ぬ勇気もなく、仕方なく人生延長してからもう2年も経ってしまう。

 

父の命が後少しという今、私が死ぬという選択をする事はできないし、母を思うと余計にできない。

だけど、もう疲れた。

 

ここ数年、どんどん生きやすくなっている気がしていたけど、それは自分が幸せの基準を地の底まで下げてたからだと最近思ったんです。

まぁ基準が高すぎてもどうかと思うけど。

 

生きやすいというか、死ぬまでには至らない程度の暮らしはできてる、って感じ。

状況自体は年々少しずつ悪くなっていると思う。

 

1人でいたい、寝たらそのまま目が覚めずに灰になって消えていたいなー。

 

両親とまろの事さえなければ、この世になんの未練もない。

 

早すぎる

父の外泊に向けて準備をすすめるつもりだったのですが…

数日前に誤嚥性肺炎で高熱を出してから、食事も取れなくなってしまいました。

その日に医師からお話がありますと、母と私だけ呼ばれ

肺炎だけでなく腹水が溜まり始め、癌がすでに再発している恐れがあると。

恐れ…というより、ほぼ確定、という感じでした。

もしも再発じゃなかったとしても、食事も取れずに点滴での栄養となり

 

余命はあと1〜2ヶ月と思ってください、急変すればもっと早くきてしまうかもしれません、と言われました。

出来ることは、なるべく早く緩和ケア専門の病院へ転院する事。

そうすれば、面会制限もかなり緩く、面会時間も長く、父の体の痛みなどが出た時には医療麻薬などで苦痛を取ってもらえる。

ただ、緩和ケアも常に父のような末期患者がたくさんいて、すぐに転院できるのかは運次第だし

転院前には父本人の了承、必要な検査、書類が整ってからというものなので、

もしかしたら、転院が間に合わずに最期を迎えることになるかもしれません。

この前からの父のあの姿を見れば、半年持ってくれるかも分からないなと薄々感じてはいたけれど

長くて1〜2ヶ月なんて。

外泊どころか食事までできなくなってしまうなんて。

 

医師の話を聞いた後に父と面会したのですが、もう車椅子に座る事もできないので、ベッドでごと移動して、寝たままデイルームの横にパーテーションを置いてそこで会う事になりました。

 

きたよ、と声をかけると一応手を出して反応はしてくれたし、一言二言話もしてくれましたが

昼夜逆転気味だったようで、眠かったのかすぐに目を閉じてそのまま寝てしまいました。

私と母はただ父の寝顔を見つめて座っていました。

 

そして面会時間が終わり、眠ったままの父を起こすのも可哀想で、布団をかけ直すだけしてその場を離れました。

 

帰る前に看護師さんから再び話があり、緩和ケアの病院をどこにするか、候補をいくつか出してもらい

父が過ごしやすそうな所、私たちが通いやすい所で候補を絞り、転院できるかどうか確認してもらうことになりました。

 

つい数日前まで外泊に向けて考えていたのに。

きっとそれが父が自宅に帰れる最後になるから、家族3人でご飯食べて、愛犬にも会わせて…

 

ご飯どんなものなら食べられるかな、お寿司やお菓子も食べたいって言ってたから、刻み食のちらし寿司を少しなら食べられるかも、

 

お菓子が無理でも、プリンとかケーキを少しくらいなら食べられるかもって

薄めたコーヒーくらいなら一口くらいならって思ってたのに。

 

もっと話せるうちにもっと早く面会に行ってれば良かった。これからもっと話せなくなってくるんだと思うと後悔ばかりで。

年明けくらいの頃はまだ車椅子に座って話せたのに。

 

父の余命宣告を聞いてから、何かご飯を食べようとしても、父もこれ食べたいだろうなとか

「寿司食べたいな、ビスケット食べたいな」と言ってたのが忘れられず

食べ物を見るたび悲しくなって、涙が出てきて、お腹は空いてるのに食べ物が喉を通らなくて。

 

それでも時間は待ってくれないので、残りの時間を大切に、会える時には会って、話せる時は話して、父が少しでも苦痛なくいられるようにしていくしかないんですよね。

 

ここに書く事で、少しだけ気持ちが落ち着きました。

 

相変わらずコメント返しができない状態ですみません。スターをつけてくれている皆さんも、本当にありがとうございます。

コメントできなくなりました😭

しばらくここから離れている間にコメント欄の仕様が変わりましたよね?💦

コメント返そうとしたり、他の方のブログにコメントしようとしてもなかなか上手くいかず、投稿してもまったく反映されないという状態が続いています…

前回の記事でコメントいただいていたサクラさん、いつも辛い時に寄り添ってくださりありがとうございます。

サクラさんのブログにもコメントしようとしたのですが、全く投稿完了にならずに挫折してしまいました😭

 

スターですら、つけられる時と全くつけられない時があって…これはもはやブログではなく、私側に何か問題があるのかと思い始めています💦

またコメント出来るようになったら、突如コメ欄に現れるかもしれませんのでその時はよろしくお願いします笑

 

前回の記事で書いた父のその後ですが、先週は前回より少し落ち着いた様子で、弱々しくはありましたが口数も増え、時折笑顔も見られました✨

 

外泊で帰宅できるように引き続き母と準備を進めています(。・ω・。)

 

私とまろは相変わらずの調子です笑

私は冬季の体調不良で低め安定…まろは年末にまた胃拡張でICUに入りましたがなんとか回復し、その後は元気いっぱいです♪

 

また近況報告しにきますっ!

父の笑顔が見たい

膵臓がんの手術後、体力がなくなりリハビリが進まなくて退院できない父に数ヶ月ぶりに会ってきました。

 

ガリガリに痩せ細り、どこを見てるのか分からないような虚ろな目。

 

あまり目が見えていないらしく、話しかけても私と認識するまで時間がかかってなかなか反応が返ってきませんでした。

 

手術は一応成功したのですが、リンパに転移が見つかったし、立ち上がる事もできずに病院では看護師2人で介助をしているようです。

 

医師から自宅に戻るのは難しい、介護の負担が大きすぎる、と説明を受け

 

老健に入居する方向で話を進めるしかなくなってしまったのですが

 

何ヶ月も自宅に帰れず、目も見えず、好きな物も食べられず、愛犬にも会えない父は体だけでなく心も病んでしまっていて

 

時々母に電話をかけて『もう俺は死にたい』と泣いてると聞きました。

 

 

母は毎週決まった時間にかならず面会に行っているのですが、

 

父は時間の感覚も分かりにくくなってしまって、常に病室で孤独なせいか

 

面会日じゃない日に間違えて『なんで今日会いに来なかったんだ』と怒って電話をかけてくることもあったとか。

 

わたしは自分のメンタルも不安定で、父の変わり果てた姿を見るのが怖くてしばらく面会に行けずにいたのですが

 

母から『この前、お父さんが今日もGUMIは来ないのかって聞かれたよ』と言われた時に

 

これは逃げていてはいけないと思い、その数日後の面会日に初めて病院へ行きました。

 

 

15分間しかいられない決まりで、何を話していいか分からなかったけど

 

少しずつ話し始めた父が『最近、同じ病室の人が家に外泊で帰ってる…』とか

 

『コーヒーが飲みたいな』とか

 

『寿司食べたいな』と言っていて

 

私と母が『実家の環境を整えたら外泊はできるかも!』と話し合い

 

私が『そのためにも、辛いかもしれないけど、頑張ってご飯食べて体力つけよう、また3人で家でご飯食べよう』と父に言うと

 

父は少しだけ目元が笑ったような顔になり、『家帰る』と呟いたところで、面会時間は終わってしまいました。

 

部屋から出る時、『また来週会いに来るからね、毎週行ける時は必ず行くから』と言うと

小さく何度か頷いてくれました。

 

父がここまで辛い思いをしていたなんて、もっと早く会いに行けばよかったと悔やみました。

 

血が繋がっていないから、実はそんなに私に会いたいと思っていないんじゃないかと思っていたのですが

 

わりと頻繁に『今日はGUMIくる?』と聞いていたそうで…。

 

今は、母が実家の不用品などを処分して、車椅子のまま室内を動けるようにしています。

 

私も父の外泊が決まったら、前後も含めて仕事を休みにして父の外泊時の介助をしようと思っています。

 

食事制限など色々と問題が山積みですが、どうにか良い方法を考えて、少しでも好きなものを食べさせてあげたいです。

 

ここ数年は父が年々痩せ細って弱る姿しか見ていないのに

 

なぜか今は元気だった頃の父の姿がすごく鮮明に思い出されて、胸が痛いです。

 

お寿司、食べさせてやりたい…。

 

 

久しぶりの日記ですが、吐き出すところがここしかなく、重い話ですみません。