まろやか人生

うさぎと筋トレとお菓子大好きウーマン

死にたさから逃げる日々

相変わらず生きるモチベが上がらない。気を抜くとふんわりとした死にたい願望が胸に広がることがあります(表現気持ち悪)。


一昨年のうつの時に感じた、耐え難い恐怖や不安感で差し迫ってくる死にたさとはまた全然ちがって、ふと、なんで生きてなきゃいけないのかなぁー死んじゃいたいなぁーと思う。

 

バイトだるいなー、バイト先爆発しないかなーくらいのテンション。


だから今すぐ実行しようという気も起こらないし、ずっとそんな事ばっか考えてる訳じゃないんだけど、じわじわやってくる死にたい波が地味に不快でなりません。


仕事も色々あるけどそれなりに楽しんでるし、こなしてる。食欲も十分なくらいあるし、睡眠もそこそこ足りてるし、ボクシングなんかもはじめて、運動も趣味も楽しんでる。

 

前よりも暇な時間が減った分、仕事での嫌な事とかはうだうだ引きずらなくなった(正確には数日経てば落ち着くようになった)。

 

その代わり、たまに本当に疲れて何もしたくない時や、お風呂でシーーーンと湯に浸かってる時や、通勤のバスの中とかで無になると、

遠くからゆっくりと死にたい波がこちらに向かってくる。

 

その波が来るのが嫌で、極力『無』の時間を作らないようにしています。

暇さえあれば断捨離やプチ掃除をして部屋を整頓して、休みの日も少し遅く起きてからは買い出しに行ったりまつげサロンやボクシングに行き、帰宅したらまろと遊び、お風呂に入って、さっさと薬を飲んで寝る。

 

予定のない日の夜は台所でちょっとしたものを作りながら赤ワインをグラスに1杯ほど飲んで、YouTubeを見てケラケラ笑ったり、独り言を言ったりしてる(怖)。

 

どうしても無になりがちな通勤中や入浴中にはiPhoneで音楽を爆音で聴いています。

トイレの中でさえ聞いています。このトイレ時間の一瞬の無でも死にたい波は突如としてやってきます。

 

今こうして現状を書いてみてはじめて、最近の私はこの波から逃げるのに必死だったということに気付きました。

 

一人暮らしを満喫して、まぁまぁ楽しい日々を過ごしている、ただ時々疲れるとネガティブになるだけで、そんなの誰にでもあることだから当たり前だと思ってたけど、これは果たして健全と言えるんだろうか。

 

一日中予定を入れてあちこち動き回ったり爆音で音楽を聴いていないと死にたくなるから怖いって、果たして誰にでもある事なんだろうか。

 

そして、ストレスや疲れの捌け口が物欲になっている事も少し気がかり。

この話はブログで何度か書いてきたけど、物欲はエスカレートしている。

それでも死ぬよりはマシだと本気で思っているので、今すぐにやめる気はないけど。

 

どうやら私のストレスや疲れは、ドーパミン的快楽でしか癒せないらしい。

煙草、酒、男…昔からドーパミン的快楽にどっぷりだったけど、結婚を機に全部やめて、離婚してからは今度は物欲が爆発した。

数年間家計を任されていた責任で抑圧されてた反動もあるけど、今はほぼ毎日宅配が届くし、買い物に行けば両手が袋でいっぱいになるほど買っている。

 

それほどにドーパミンに頼り切り。

セロトニンオキシトシンが枯渇しているからドーパミンに全振りしてしまってるのかもしれない。笑

 

とにかく今私がドーパミン的快楽を断ったら、多分だけど、わりと早めに死ぬと思う。多分、ある日突然死ぬと思う。

自分でもそれが分かってるから断たない。断てない。最後の砦。笑

 

立ち止まったら死ぬから歩き続けている感じ。

 

そんな私も、来月で29歳になります。

30歳までは生きてたら良いなぁー、節目だからなぁー、とは思う。

 

 

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今日は1人焼肉してきました。美味しいもの食べてる間はしあわせ。

 

食べ終わった七輪、まじまじと見てしまったよ…。これで人が死ぬのか…使い方間違ってるよ…七輪はお肉や魚を焼くのが一番だと思いました。爆