結婚前、ずっと恋愛依存症でした。
常に好きな人がいないと生きる気力が湧かなくて、好きな人と良い感じになっている期間だけが生きてる実感があり、生きてたいと思える。
好きな人がいて、その人に好かれる、必要とされる事でしか自分を認められなかったし
なんなら男の人に好かれる事でしか自分の存在価値も分からなかった。
だから、自分に価値があると思いたくて水商売をやっていたんだと思います。
指名数が自分の価値。
だけど今、介護の仕事を始めてから、お年寄りのご利用者さんとのコミニュケーションで毎日涙が出るくらい大笑いしたり、優しくされたり、信頼して頼ってくれたり、
『GUMIちゃん、 GUMIちゃん』と名前を呼んで笑顔で話しかけてくれたりしているうちに
恋愛に依存していた時には、愛に飢えていて常に餓死してしまいそうだった心は癒されて、あたたかい気持ちで満たされるようになりました。
あれだけ男の人に愛される事に執着していた自分はきっとすごく男好きなんだろうと思っていたし、そんな自分がすごく恥ずかしくバカバカしく、情けなく思ってコンプレックスだったのですが
本当はただ人を愛したかったり、愛されたかっただけで、相手が男である必要はなかったんだと気付きました。
男女間は上辺や下心ありきではあるけど、一時の優しさや愛に似たものを感じるのは簡単です。だから簡単に感じられる薄い愛でなんとか自尊心を保っていただけなんだと思います。
今は薄っぺらい気持ちで近づいてくる人がすぐに見抜けるようになったし『この人っていい歳してまだこんな感じなんだ』と冷静な目で見られるようになりました。
まぁ自分も割と最近まで似たような感じだった事は棚に上げて…ですが。笑
愛だの恋だのがバカバカしい訳ではなくて、本当の愛情や恋心っていうのはすごく素敵なんだけど、見つけるのも育むのもすごく難しくて、そういう気持ちを大事にできないような軽い相手と恋愛して傷付いたりするくらいなら、フリーでいた方が幸せだと思うようになったんです。
今の私には両親からの愛情もあるし、同僚からも優しくされ、ご利用者さんから可愛がられ、すごく満たされています。
色々あって、彼氏とはもう自分の中では終わったことになっています。
また記事で書こうと思いますが、連絡は未だに来ているのだけど、自分の中でもう誰かと恋愛する気持ちにしばらくなれそうにないのです。
父が入院するよりもっと前から、薄々自分の本当の望みに気付き始めていたのですが
両親に愛情をたくさん注ぎたいんです…両親に愛情を注ぐって表現、ちょっとヘンかもしれないけど。
父の回復は早く、来週中には退院できそうだと連絡がありましたが、これからはもっと父と話したいし、もしこれからもっとリハビリや介護が必要になるなら、私がそこに少しでも関わりたいなぁと思っています。
血が繋がっていないけれど、私にとってはもう実父以上の絆のある父。
母との時間も大切にしたいです。私がもっと自立して健康に働けるようになったら、いつかまた一緒に暮らしたいとも思っています。
子供の頃あまり一緒に過ごせなかったから、母と静かに穏やかに暮らしたい気持ちが強いです。
そこにもう男がどうとか恋愛がどうとか、そういう欲求はなくなってしまって。一時的な気持ちなのかもしれないけどね。
でも恋愛に溺れていた時よりも、生きてる、今人間やってるわ自分。と感じます。
男の目に映った自分の姿、男が口にした私の感想でしか自分の価値が分からなかった私が
鏡の中の自分を見て、『あんた今結構いい感じだよ』と思えるようになりました。
相変わらずお金もないし、疲れで色んな気力が低下したり、体調が芳しくない日も増えてきている最中ではあるんだけど、
それでも自分の事が大嫌いだった昔より、今かなり自分が好きです。
しんどいけど、今年死ななくてよかった。